このページは私たちSIXERSの歴史をつづったページです★
少し長くなりますが私たちのつながりが細かく綴られています。

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種◆
 2004年の医学祭で車椅子バスケ体験教室が開催されることになった。発案者である保健学科バスケ部(保バス)元副部長の号令のもと、保バスが体験教室に借り出されることになる。
 
 医学祭の前に一度体験しとこうということで、一週間前の土曜に新潟81’の練習に参加させていただく。このとき大杉監督との運命の出会い。
 
 保バス部員のみんなは「リアル」で車椅子バスケを知っていたが、実際の車椅子バスケを経験したことがあるのは元副部長のみ。もちろんそれ以外のメンバーは見るのも初めて。大杉さんにルールやら椅子のこぎ方やらを教えていただいたのだが、揃いも揃ってまるでヘッポコ。普段「障害者」と呼ばれている人たちにまるで手も足も出ない。

 車椅子バスケってのはかなり難しい競技なんだなぁというのがこの日保バスが抱いた印象。
でも。もしかしておもしろいんじゃない?と思ったのが第1期メンバーであるたらさん(初代部長)とけんさん。この2名は次の火曜にも練習に参加。他のみんなよりちょっとでもうまくなって医学祭で目立ってやろうという下心があったとかなかったとか。
 
 医学祭にはGBPの関西組(5名)+1名がはるばるやってきてくれた。医学祭前日に数名が関西組と一緒に夕食を。そこでGBPの理念メンバーの車椅子バスケに対する熱い想いに感銘を受けた2人は車椅子バスケを続けていくことを決意。新潟大学でいずれは大学選手権に出てみたいな〜なんて思ったり。

 医学祭当日は新潟81’GBP、保バスが交流を深めつつ、熱戦を繰り広げ、楽しいイベントとなった。このとき車椅子バスケに興味を持った部員がいた。GBPの新たな種がまかれたのである。

 医学祭が終わってからも、二人は新潟81’に通い続けた。週2回、それも保バスの練習終わりの2時間という短い時間ではあったが、二人はちょっとずつ成長していく。その間保バス部員を車椅子バスケに誘い続けるのだが、一緒に練習に行くヒトはなかなか増えなかった。
◆めぶき◆
 2005年春、「保健学科車椅子バスケ同好会」を立ち上げる。1年間活動を続け、活動が認められれば部活になるのだ。第2期メンバーであるあいさん(2代目部長)、にゃにゃさんが81’の練習に参加するようになる。他にもきょうこさん、ちえさん、おくやまさんが練習に参加したりしていた。

 この年行われた第4回大学選手権には人数が揃わず出場することが出来なかったのだが、初代メンバーが大阪に大学選手権を見にいく。ついでにボランティアスタッフとしてちょこっと手伝ったりする。初めて見る大学選手権は自分達が思っていた以上にレベルの高いもので、健常者の自分達にもこんな大きな舞台で試合を出来るチャンスがあるんだという驚きと、出場できない悔しさを噛み締める。来年の大学選手権出場への決意を新たにする二人であった。

 同好会としての活動も地道に行っていた。秋の医学祭では去年に引き続き車椅子バスケ体験教室を行った。また新潟国体に向けた新潟県車椅子バスケ強化合宿に国体チームの練習相手として何人かの学生が参加した。

 チームとして初めて公の舞台で試合をするチャンスが訪れたのはこの年の暮。毎年新潟で開催されている日本海カップ新潟81’が長岡JETSとエキシビジョンマッチをすることになった。81’は学生を主体として健常者だけのメンバーで試合に望んだ。試合には負けてしまったが、健常者が車椅子バスケをしているところを観客に見せられたことは大きな収穫だった。
◆SIXERS誕生◆
 06年3月、大学選手権とは別にGBP関連の大会として「新人戦」が埼玉県立大で開催された。この大会は大学生に限らず、専門学生や大学のOBなどの出場が認められた。
そこで新大同好会メンバー(たらさん、けんさん、あいさん、にゃにゃさん)におっちさん、そして他大学だが新潟県出身で第3回大学選手権ベスト5のあつしさんを加えた「新潟学生連合チーム」として出場することに。

 健闘むなしくこの大会では4戦全敗。特に最後の試合のVANGS戦は一点差での惜敗とかなり悔しい結果となった。新大メンバーは選手権での雪辱を誓う。

 4月、1年間の活動が認められた同好会は、正式に部活として認証される。そして第3期メンバーのふね、かなえの二人が入部する。部員が充分揃ったことで大学選手権出場が見えてきた。
 
ここで初めて「SIXERS」というチームが誕生する。名前の由来は2006年に出来たチームなので6 → SIX → SIXERS。NBAのフィラデルフィア76ersからヒントを得て・・・というかまんまパクッた。新潟81’と同じようにチーム名に数字を入れたいという気持ちもあった。
◆初出場◆
 2006年9月、第5回全国車椅子バスケットボール大学選手権大会が開催され、新潟大学SIXERSは初出場を果たす。選手は8人(うち一人はマネ)とそれほど多い人数ではなかったが、少数精鋭。チームの成熟度として新人戦より格段にアップしていた。

 チーム数が少ない上に、組み合わせに恵まれたこともありSIXERSは1つ勝てば準決勝、2つ勝てば決勝に駒を進める位置に。
1回戦の相手は花園大学 TIP OFF 。このチームには2年前新潟に来てくれたメンバーが二人いて、SIXERS発足のきっかけを与えてくれた縁のあるチームであり、恩返しのつもりで戦った。めでたく勝利を収めることが出来た。2回戦の相手は茨城県立医療大学 P.A.S 。この試合に勝てば決勝進出であったが、残念ながら敗れてしまった。

 気持ちを切り替えて望んだ3位決定戦の相手は新人戦で1点差で敗れた北里大学 VANGS 。新人戦でVANGSに負けたことでさらに結束が強くなり練習をつんだSIXERSにとってVANGSは絶対に負けたくない相手だ。両チーム死力を尽くして戦った結果、SIXERSがなんと1点差で勝利をもぎ取り、3位という初出場としては満足のいく成績を残すことができた。

SIXERSの歴史はまだまだ続く・・・

◆卒業◆
 07年3月、SIXERS設立の立役者であるたらさん、けんさんは、めでたく大学を卒業するとともに、それぞれの道に旅立ち、新潟を去った。
 めでたいことだが、SIXERSにとってはチームの大黒柱を2本失うということで、大きな喪失感を覚えた。しかし、この二人の意志を引き継ぎ、さらに多くの人に車椅子バスケの楽しさを伝えるとともにチームを成長させて行かなければならないと感じた。

 新部長となった第3期メンバーふねを筆頭に、SIXERSは新たな一歩を踏み出した。第1期メンバーの卒業によって、メンバーは男子2名、女子5名となり、選手権で勝ち進んで行くには厳しい状況である。一人でも多くの新入生の加入に向け、勧誘に取り組むとともに、チームのレベルアップを目指して日々の練習に励んでいる。
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